松坂屋上野店250周年記念特別企画
パラパラ漫画ムービー
『過去と未来をつなぐ 松坂屋上野店250年物語』解説サイト

パラパラ漫画ムービー『過去と未来をつなぐ 松坂屋上野店250年物語』を最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。
ここでは、ムービーの中で描かれた各年代のシーンの様々なエピソードを解説していきます。
この解説をお読みいただくと、もう一度ムービーを観たくなるかもしれません?!




上野の松坂屋を買収、江戸へ進出
名古屋の呉服小間物商の伊藤屋が、上野の松坂屋を買収していとう松坂屋と改め、江戸へ進出したのは1768年(明和5年)のことです。
このシーンで描かれている建物は、1772年(明和9年)に起こった江戸大火(目黒行人坂火事)によって類焼したあと復興した新店舗です。



土方歳三(1835-1869)の青春
新選組副長の土方歳三は、17歳のとき、上野店の支店の木綿問屋亀店(かめだな)で働いていました。 また、11歳のときには上野店で丁稚奉公をしています。
アニメーション冒頭の建物の頃に、土方歳三は丁稚奉公していたと思われます。
このとき覚えたものか、「トシさんは物差し使いがうまい」と近在の人々が噂していたそうです。
 その後、近藤勇と出会い、運命が急転します。 新選組の徹底した実力主義と鉄の規律は、松坂屋での体験から生まれたとも言われています。




座売り
江戸時代の商いは、店内に品物を置かず、お客様のご要望に応じた品物を蔵から取り出してきて販売する「座売り」という方式が取られていました。 
肉筆の浮世絵『安永元年 上野店店内見取り図』1772年)には、上野店の繁栄を支えた奉公人たちの活気溢れる仕事ぶりとおもてなしの様子が描かれています。




1856年 安政大地震後、再建された上野店
尾張徳川家、加賀前田家の御用をつとめ、寛永寺の法衣を販売するなど世間の信望も厚く、江戸の名所として浮世絵にも描かれました。






1896年 29歳の夏目漱石が呼んだ俳句
江戸から明治にかけての商家の暖簾(のれん)は、紺地に白抜きのものが殆どでしたが、 いとう呉服店(松坂屋)の暖簾には地色が赤(柿)色のものもありました。
江戸っ子の夏目漱石が、1896年(明治29年)に、江戸時代の風情を残す上野の松坂屋を次のように詠んでいます。
「乙鳥(つばくろ)や赤い暖簾の松坂屋」




1907年 座売りから陳列式立売りへ
1907年(明治40年)4月1日、江戸時代から続いた座売りを陳列式立売りに改め、呉服に加え雑貨、家庭用品なども扱い始めました。
ショーウインドーを巡らし、女性社員を初めて採用したのもこの年です。




松坂屋オリジナルブランド 呉羽ケープ
1910年頃の商家の婦人は、丸まげの髪に地味な色柄のお召の着物に被布(いまのコートに似た羽織の代用品)といった身なりが一般的でした。新しいものを求める人々は、゛時代の新スタイル”と銘打ったマント風の「呉羽ケープ」を身につけて、新時代の気分を満喫したのです。




1917年 新本館が完成
1916年(大正5年)に、洋風4階建ての新本館が竣工しました。翌1917年(大正6年)に第2期工事が完成して、延べ6,600㎡(2,000坪)になった店舗は、帝都の名建築の一つに数えられました。

続きはこちら⇒『過去と未来をつなぐ 松坂屋上野店250年物語』解説サイト〈その2〉


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